東京高等裁判所 昭和30年(う)656号 判決 1956年10月29日
控訴人 被告人 吉田信吉 外二名
弁護人 和光米房 外二名
検察官 小出文彦 外一名
主文
本件各控訴を棄却する。
被告人茂呂栄一に対しては、当審における未決勾留日数中六百日を原判決の刑に算入する。
当審において鑑定人台弘及び国選弁護人島内竜起に各支給した訴訟費用は被告人田村勝彦の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、被告人吉田信吉、同田村勝彦各提出の控訴趣意書及び被告人吉田信吉の弁護人和光米房、被告人田村勝彦の弁護人島内竜起、被告人茂呂栄一の弁護人大塚春富各提出の控訴趣意書(被告人吉田信吉の弁護人和光米房の第二控訴趣意書を含む)に記載されたとおりであるから、これをここに引用する。
被告人吉田信吉及びその弁護人の各控訴趣意について。
原判示事実は、原判決挙示の証拠(これが証拠の信用力を疑うべき事由は記録上確認するに由がない。)によつて優にこれを認めることができ、記録を精査するも、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認の過誤はない。
被告人吉田信吉は、その所論の中で、本件犯行が、同人の主導的犯行でないこと、被害者山野泰を殺害する意思のなかつたこと及び犯行時、前後の事理を弁識する能力を失つた或いはその能力の減弱した精神錯乱の状態にあつたことについて縷々事由を挙げて極力陳弁しているが、記録及び証拠上到底これが主張を採用するを得ない。原審が原判示事実を認定して被告人吉田信吉を刑法第二百四十条後段所定の強盗致死の罪に問うたことは正当である。
而して、ただ、物慾のみに出でた残忍な方法による殺人の所為を伴つた本件強盗致死の所為については、記録に見られるその他諸般の情状に照らすも、一点同情の余地なく、原審が、被告人吉田信吉の上申書の記載にかかわらず、敢て酌量減軽することなく、所定刑中死刑を選択処断したことは正当である。所論において、本件所為の原因の一端を戦後の社会悪に帰すると共に死刑制度の好ましくない所以を述べて、原審の量刑の不当を主張しているが、本件犯行の原因を戦後の社会悪に帰さなければならない特段の理由を認めるべきもののないことは勿論、平和にして善良な国民一人一人の生命は確定した極悪な犯罪人の生命以上に貴重であり、刑法が死刑を存置する所以は、社会全体の根本的な法益に対する極悪な侵害を社会公共の福祉達成のため一般に予防するに出でたものであるから、所論は採用し難い。
論旨はすべて理由がない。
(その地の判決理由は省略する。)
(裁判長判事 三宅富士郎 判事 河原徳治 判事 遠藤吉彦)
弁護人和光米房の控訴趣意
第一、昭和二十九年七月十五日愛宕警察署に於いて警部補大鹿春仁の取調べた供述調書に依りますと、被告人は被害者に対する殺意がなく、後に死んだことが判つて驚いた供述になつて居ります。後に追々裁判費用がかかるとか顔を知つて居るから殺すとか不利益な供述になつて居ります。検事の提出した書面でその様に見えますが被告人が第一審公判廷で初めの供述が真実なりと述べて居ります様に余りに罪悪が重大なことを認め不利益なことを皆承認陳述致しました。併し、殺意が無く調べ官の云うが侭に情状を悪く陳述したにすぎません。悪い供述は皆真実の如く思いますが、警察官等の誘導訊問に応じたのであります。
第二、西山庸平著哲学汎論第三六〇頁に『ああ神よ鹿の溪水をしたい喘ぐが如く………山又山林又林のただ中を矢を負うて喘ぎ乍らに走る鹿の渇けるなりにも疲れたるにもその方へと志す則ち音を立てて流るる美しき溪川の水である。矢を負うて渇ける鹿の小急いて走る姿には神に向う人の心を髣髴せしめて尚余りあるものがある』鹿は被告人です、矢は第一審の死刑の宣告です、溪流の水は第二審の無期懲役の期待です。
第三、南天棒平松亮郷著第二二一頁『渠奴が追剥もするが夜歩きする盗みもするが嘘もつく人をあやめもすれば、詐りもする喧嘩もするが人殺しもする。孟子は性は善なりと云うた筍子は性は悪なりと云うた………達磨は見性成仏と云う是れ程慥かなものはない』そいつめとは本来の面目仏性、法身、如来、神性を指して居ります。本件も宇宙総掛りで起した出来事です。
第四、日本は裁判でも死刑の宣告をしない、人殺しをしないと云うことを世界に宣言する必要があります。第三次戦争でもあると五百万人位殺されます。殺人を止めたと云うことが判ればソ聯も日本に来ても人殺しを致しません、千万言を費してもなんにもなりません。死刑殺人を止めれば他日助ります。
被告人吉田信吉の控訴趣意
昭和二九年ある詐欺被告事件で起訴され東京拘置所に留置されましたが、この詐欺事件と今回の強盗殺人事件の控訴の趣意を申し述べ御寛大なる御処置を御願い申し上げます。
かつて私が厚生省に拝職中の上司先輩等が、課長次席係長と重要な席に居り地位、実力的にも今回の仕事面に充分コネクシヨンが有り度々の話の中にも品物が在り確実なものならば、納入等にも心配してやるとまえもつて謂はれてゐたのでありますが、偶々詐欺の共犯者臼井昭夫が私の友人の言葉添えで、官庁方面に出入りさせて呉れと言つて居り、自分の品物が充分と在庫するからと言うので丁度役所の年度末の事でもあり処勝手を知つてゐるので予め予算面など調べ知人の厚意に甘えようと接渉してゐる中に臼井は色々と仕事の都合も有り、共同出資者の友人に役所の事は自分の顔で掌中の内と話してゐる関係上私の言う通り働いて呉れないかと言ふので二人だけの事なので別に気も留めずに指示されるままに色々と便宜を与えてやり一方私は早納入させるべく話しを進めて居りますと未だ結果も出ぬ内一日も早く搬入し其れから進合つたり手続をしたら好いではないかと言い、商品を搬入して話のはつきりする迄日時も経つ事だから一時融通するのだと兼ねて打合せてあつたと思われる人から換金し其れを着服してしまつたのであります。私は其の金は勿論あずかり知る由もありませんでしたが、彼の共同出資者と謂うのは一商社で関係の無い事がわかり、そこの商品とわかり、其の為私も逮捕されたのであります。私の無智無謀からお人好の言葉通り彼に利用され表面上色々と名前おも出されて居り、彼の甘言に依り始めよりの詭計であつた事がわかり又後日彼は二、三度この様にして詐欺を働き訴られ指名中の者だつた事がわかりました。又警察署に於ても自分一人でやつた事で君には申訳ない事をした責任は私であるから弁護士や保釈の事は心配せず、直ぐ出られる様手続するからと頭を低くして申すので其の積りで居りますと、私のみ東京拘置所に送られ彼は他に事件がありましたか、警察署より保釈出所し、其の侭梨のつぶてで、私は公判通知に接し始めて驚き家の方に知らせた程で最後迄欺され又役所の知人達も地位とか後難をさける為本意を申しませんし、これみな己の不徳の至すところ慚愧に堪ません。
一、この様な事で東京拘置所に在監中同房であつたのが今回の事件の田村被告であります、在房中数十名の者達と請願作業の仕事に従事しながら自分達がここに来た顛末など色々と話し合ひながら世間話の徒然に今回の被害者宅の事なども話しの中に出たものでありませう、これらの事はみな一笑に附しひたすら裁定の日を待つて居りましたが同年四月田村被告が保釈出所し私も同年五月中旬御願いした結果保釈出所したのでありますが、出所後に於て偶々新橋駅にて田村被告と再会し裁定の暁には過去を捨て新生活に入る事など約し、私が厚生者に在職中体育行政に又、運動用具の配給や官庁業界の継がりが浅からぬ事など知つて居るのでこれらの事など、礎として皮革類の仕事など始むべく計画し意見希望など語り合ひ晴天の日を待ち発足すべき事など申し合せ、田村被告の父君叔父さんとも度々と会い叔父さんも元役所勤めもし現在新聞関係の仕事に従事せられてゐるので其の意図も充分解して呉れ一そう意を強うしたのであります。田村被告も私も東京拘置所で知合つた事は隠して居りましたので事件後この事がわかり、こと更父君叔父さん等におかれては悪感情を持たれた事と思ひますが、其の日迄共々協力して戴き又仕事を推進すべく手配し、唯裁定の日を心待ちにして居りました事は間違いありません又、茂呂被告と知り合つたのは田村被告に依り事件の前夜始めて紹介されたのであります。田村被告と、茂呂被告は度々会ひ昵懇の間柄であつた事は謂うまでもありません。前日午前中田村被告と会い銀座を歩いて居りますと、シバ洋装店の前迄来ると田村被告がふと足を止め昨日ここに来た事があるといつてゐましたが私の関係の無い事で、きき流して居りました其の夕刻新橋駅西口に於て茂呂被告とかねて待合せていたかの如く、ベンチの処で話して居りましたが始めて歩を寄せて私と引合せ其の時始めて茂呂被告と知り合ひました茂呂被告は田村被告から貴方の事色々と聞いて居りますと、申して居り、田村被告が何を話したか知りませんが、唯彼の話の相槌を打つて居りましたが茂呂被告が近々東京の毎日新聞社に入社する事など申して居りインテリー的なところも見え何か得るところもあるかと思い交際してもと言う気になつて居りました。
一、前述の東京拘置所での徒然にとりとめの無い話をしてゐる内でよく拘置所に来ると各自が心にも無い事を自慢げに話したり社会的地位とか生活状態など誇張に話するのが、常であるがここに居る同房者は同じ釜で苦楽を共にしてゐる連中ばかりであるからそう言う人はあるまいそれらの事が、事実と違えば直ぐわかる事で、そう言う者は人間のくずであり泥坊より悪いのであると言をば強め、心憎しげに話してゐた事など脳裡にきざみ込んでしまいましたので、田村被告が茂呂被告と会つたとき私達の同房者間のとりとめのないあの会話などの様子や内容などを茂呂被告に話したのでありませうか、始めて会つた時もそれらの事などほのめかして居りよく知つて居りました。両被告とも私の思つて居る前言の厭な味をも知つて居る事であらうから後に至り言つた事が、放言だ誇張だとか嘘であつたなど謂われ、又両被告から軽蔑感や卑賤的に見られる事が心がいと思い勿論実行の目的など毛頭に考えず一度でも前言の家などある事の証しをたてれば自分自身安易すると思い六月三十一日事件の前夜うながされるままに四谷方面に参つたのでありますが、素より人通りもあり隣家など工場であり窃盗など始めより出来る場所でなく、又そんな機会もありません事は、充分に知つて居りましたが、唯一度でも前言の通り証しを立てれば、又実在せる事のみ見せればと言う積りであり、多少好寄心的なども手伝つたのでありますが、田村被告は過去窃盗の経験もあり東京拘置所内での話しなど私に話し口にしてゐるので、一応それらの経緯でゼスチヤー的な悪い見得みたいなものが有り、又私自身二人で仕事を始めるべく計画してゐる内の矢先、其の様な不心得起すとは考えても居らず、唯絶対的に実行する様な事はないとぼうかんして居りましたが、勿論その様な事はなく笑話的になつてしまいましたが、これらの悪い心にも無い見得と申しませうか本意でない調子外れの軽挙が今回の事件となり、其の前に色々と復雑な事があり計画的の様に思われて居りますが決してその様な事はありません。
一、私は保釈後義弟の宅に引篭り蟄居同様に裁定の日を待つて居り又義弟が丁度自家など作る折柄とて土地など探し又家の雑用などにおわれて居り義弟も建築の仕事など手伝つて呉れと頼まれ名刺迄作つて呉れましたが裁判の決る迄はと思ひ又自分で仕事もしたかつたので其の厚意のみ受け裁定の日時のみ待つて居り其の裁判の詐欺事件の示談金とか裁判費用とか謂つて経費の掛る折柄の事件とて其の為の犯行の様に言はれて居りますがこれらの費用などの点は義弟も心配して呉れて居り前述の臼井も心配するなど心許ない事でありますが口にして居りましたので又小使銭も必要以外の金額の外は母なども居り不自由はして居りませんでしたので、今回の事は後述致しますが何の為かかる振舞を為せしか自分でもわからぬ程の心理的の事などでありまして東京拘置所内でのあの取りとめのない言葉のやりとりが脳裡に入り込んで居り悪い見得と自分自身が善意に考へてゐるから他人も同じ考へでゐるであらうと言う甘い一人がてんの考へ方と人から頼まれ嫌と言えぬお人好し的な意志の弱さから斯の様な事となり今更ながら深く侮きらうて居りますが犯行当日も最後に至り田村被告とも共に良心の苛責と恐怖の為体全体が胴振し慄えが止まらず足をも地につかぬ程で桜の木方にしやがみ込んでしまう程で実行を中止すべく帰つて参つたのでありますが、茂呂被告から急にだらしがないぞなどの事を言はれ『かつ』を入れられどうする事も出来ず放心状態となり夢遊病者の様に悪夢の中に実行に移つてしまい自分の意志で働くのでは無く田村被告から出る命令的な言葉に左右され引ずられるままに行つたのでありますが、後刻に落着き始めて本意に返り言効もなき自分の意気地なさに驚き入りなぜに這斯様な事と為つたかと有問は其の恨しさに身の置所に苦しみて被害者の冥福を祈るのみでありました。かかる微妙な精神的作用に依り斯の様な大事を引き起し色々と不利の条件の上の事とて、唯々本意でない事のみ特記し唯々裁判長殿の御観察と併せて御寛大なる御処置を願い申上ます。
一、七月一日有楽町駅にて待合ふ事となつて居りましたが私としては前の様な心にも無い見得を張るのが厭なので前夜有料待合室の叔母さんから頼まれた水道工事の修理など頼む事など思ひ出し又友人のところなどにも立ち寄りわざと時間を遅らせ三十分程わざと遅れて一応はと思ひ行つて見ると両被告が駅の待合ベンチに腰を掛けて未だに待つて居りましたので車を降り近よるとつつけんどうな顔をして怒つて居りましたので言訳も出来ず今更ながら行くのは嫌とも言ひ切れずうながされるまま電車にのりました、又この近くにはしばらく無沙汰して居つたので又友人のところでもついでに寄つて見ようかと謂う考へに変り又茂呂被告も正午には彼の友人と新宿で待合せがあると言つて居るので自然と斯の様な行きあたりばつたりの悪い見得は解消すると思つて居り時間の問題と思ひ心にもとめずに居り前日田村被告から頼まれた軍手も一応は持参し督促せねば其の侭にしようと思つて居りましたが促されこれを渡し同時に前日あの様な経緯でてれかくしにこと更に茂呂被告や私に行勤めいた事など表示したかつたのであらうと私流に考へ彼もそうであらうと一人がてんして居り又被害者宅附近は日頃御用聞きなどが毎日注文取りに参り外出など普通はせぬ事など以前隣に居たので熟知して居り奥様はしつかりやである事なども知つて居りかかる事は出来ようはずはないと自負して居りました。又家の間取りなど東京拘置所に居る折同じかつこうであると言つたので田村被告が茂呂被告に話してる間は留守居がちだと言う事も彼から出た一人考への想像であると思います。又私の待合せ時間をわざと遅らせた事など御調べ下さればわかると思います。又実行に移る前に役割など決めたのではありません。唯茂呂被告が先に口を切り俺が見張りをするからと申すので自然と二人で行く様になり、まさか昼間からこの様な不祥事をおこすとは思つて居りませんでした、又田村被告か私かどちらが止そうと申すのを自分の口から言はず彼からとも思ひ其の間二三回近くをはいかいし結局二人して止める事とし桜の木方に返つて来たのでありますが其の由茂呂被告に話とす先程の通りせつかくここまで来て電車賃くらいどうにかしろだらしがないぞなど言はれ『かつ』を入れられ心許なくよくせいする事も出来ず実行してしまいましたが始めより私達は殺意があつて勿論入つたのではありません唯ことのはずみで唯電車賃くらいと言はれ入りこんで奥様があまりあばれ抵抗するのでおさえる為田村被告が奥様の首に手を廻しかくとうして居りましたが其の時迄私は奥様に手も触れず命令される迄茫然と唯物品をさがして居りました事は後述の如くであります。
一、田村被告は覆面して私に呼鈴を押し奥様に鍵を開けさせろと指図するので私はベルを押して居りますと奥様が戸を開けましたと同時に田村被告は私の右手よりから身を横にしながらドアーを押す様にして入り、上りぷちのところで奥様をいかくして居り私は玄関に入り身の慄ひをおさえながら入口の応接間の机の上にあつたバツクの中からカメラを咄嗟に抜き取り右手に提げ入口に出て来ると奥様は田村の手を振り切りこちらに参りますので、其れを遮ぎり田村被告は右腕を奥様の首に廻し右側の四畳半の方に入つて行きました、なほ反抗して居りましたので、私は玄関の鍵をかけろうかずたいの風呂場の戸と鍵を締め四畳半に入つたのであります田村被告は同所でかくとうしながら左手で窓をしめながらしてゐると奥様に引ずられてろうかに出てきました。其の時千円あげますから帰つて下さいと申して居りましたので私は財布を取り同室のタンスの抽斗をあけて見ると宝くじ真珠の首飾などがあり又贈答用の箱入のペンシル等も入つて居るのでそれを覗いて如何しようと思つて佇んでいると田村被告がおいなにおしてゐる物はよせ現金だけにしろ早くさがせと言つてゐるので『は』として次の抽斗を見るとハンカチフ等小物類が入つてゐるのでなにも取る物は無いと思ひ奥の玄関から入つて突当りの四畳半の方に行こうとすると、そこだけはと言うのでなにかあるなと思ひ同室に入りましたが其の間田村被告は奥様に相変らず首に手を廻し奥様を締めて居り柱を背にしてしばらくすると抵抗はやみ静かになつて居りました。私は部屋の中でたんすの抽斗を手にすると鍵が掛つて居るので、次の抽斗を見ると鍵類が入つて居りましたので其れを出して鍵を開けてゐると田村被告がおい(吉田?)手をかして呉れと申すので物しよくする手を休めて出て行くと手と足を縛つて呉れと言うので四畳半の入口のところにあつた兵児帯を取り其場に行くと田村被告は相変らず首に手をやり柱に背をあずけながら奥様の身をささえながらおり奥様の手はだらりとして静かになつて居りましたので足を縛ろうとすると下げていた手がうごきレインコートを掴みました其の折レインコートが破れましたがこれは普通でもやぶれそうになつてよわつていたものであります。其して其の手をも縛りました其の折私が奥様の鼻、口など手で押え一時失神状態にしたといつて居りますが足を縛るときも両手がぶらりんとしていて又あばれもせずかんたんに両手両足をしばりつけたのにあえて口や鼻など押へる要もなく後だきになりしばりつけていたのでおさえる要もなかつたのであります、又奥様は一とことも喋らずに居り田村被告が柱に背を向け靴がすべり奥様と一緒にろうかに倒れ横になり首をしめあほむけになつていたので顔など見えませんでした其の時以前もう気絶していたのではないかと思ひます。私は両手足を労せず縛り直ぐ部屋に戻り抽斗を物しよくしていると又田村被告が部屋に入れるのだから足を持つて呉れと言うので又出て行き足を持ち中に入れました田村被告はなほ首に手を廻しながら一緒に横になつて居りましたが私がなほ物しよくしていると顔が着いて気持が悪いからなにか覆せて呉れと言うので後にあつた布を掛けてやりますと其の時奥様の顔を見ましたが其の顔は青黒く、むらさき色になつて居りました。田村被告は身を起し一緒にもつていつたひもか、それとも彼の頭の上に有つたひもかはつきりわかりませんが、其のひもで口のところを結んで呉れといつたので軽く鼻の上のところを結びましたが、其の折しばつたり塞いだりして死に至らしめた程でない事は実地検証でおわかりの事と思ひます、そしてふたたび物しよくして居りますと又田村被告は足をなげ出して奥様の横に居り布団を掛けて呉れと呼ぶので又物しよくの手をやすめて押入より寝巻類など放り出して布団を出し二人に掛けてやりました。其の間田村被告は鏡台や抽斗とか玄間のわきの四畳半に物しよくに行つたと申して居りますが奥様の横に足をなげ出して私に早くさがせなどと督促して居り其の様な事はありません又奥様の指から指輪を取らうとしたとも申して居りますが、私は抽斗を物しよくし指図通りにしていてそんなよゆうは少しもありません。これらは供述の通りであります、そしていい加減に引上よう時も経つたしなんだか変なんだからそこの物以外はいらぬから其の侭にして行こうと申します、のでそれらをポケツトに押入其こを出ようとすると田村被告がおいこれを引張つて呉れと首に巻き付けたひもを持上げて促すので唯引上げる事のみだつたのでなにも考へず引張り立ち上り次の部屋を見ると庭にレインコートが掛つているのに気が付き自分のが破れている(これは義弟のもので)ので部屋に入りそれを取りあげその上に着し戻つて来ると田村被告が私が其のままにして来た抽斗など物しよくして居り私が戻つたのに気が付き其の手を休め立膝してもう一度奥様の首に巻き付けたひもを引張り居るのを覗き見しながら応接間などみながら田村被告の出て来るのをまち其の場を出て来ました。
一、田村被告が奥様を横臥したときどうすると言つた時(唯しようがないな)と咄嗟的に出た言葉で殺してしまつたとあんじを与えた事はありません其の時はもう気絶してしまつていたのだと思ひます、又奥様の手など縛るときに「やつてしまえやつてしまえ」と言つたと申して居りますが、足などもおとなしくしばられて居り又顔は見えませんでしたが失神して居つた様に思はれる折、私はその様な事を口にする気力はありませんでした。唯入つたときあまりさわぐな静かにしろと言つた事はありますが、これらの事は供述の通りでありますから又後に至り隅田川で会つた時奥様の死を知り唯驚きかつ重大時となり自ら其の罪の深さを後悔していましたが両被告は昔私が隣家に居り一番先に捕われる事は至当で私さえ黙つていればわからずに済むのだと始めから指導的にありながら私が始めより捕ること承知の如く申して居りこれまで田村と私の間は平穏の内裁定の日を心まちにして居つた折いやな見得と言葉の軽挙から今更ながら悔いてもせんかたなきものを又これらの事件の顛末は供述の通り又上申書の通りであります今回世間をさわがせかく奥様を死に至らしめかかる不祥事を引起して実に申訳なく罪の深さを侮ひ唯被害者の冥福を祈り一日も早く罰の償ひを以つておわび申し上げ度思つて居ります。又、私の母からも一家揃つて丁度妹の臨月の折柄もかまわず共々に私に代り又母兄弟として奈良などに参り三カ月間神篭しおわびし御許しをこひ朝夕は山野さんの家の方に向ひ心から合掌しおわび申し上げて居り信吉も一心こめておわび申し上げれば、奥様も御心やさしくして下され今一度世間に出られる様にして下さるでしようからと申し神仏におすがりしいる由、又母一人子一人となり親戚世間からも見離され又、色々経済的にも不自由しながらも私の出られる事のみ願つている母を思ふと又こと更に山野家御一同様の御心情深く身にしみおわび申し上げる次第でありますが裁判長殿色々と申し上げて参りましたが原因動機等の意志の弱さと本意でなく精神的な迷いなどからの事充分と御観察の上刑一等減ぜられ今一度再生の道おひらき下さる様特に御寛大なる御計ひ賜り度御願ひ申し上げます。